2005年9月11日 (日)

【森先生のひと言no.17】「やる気」・・・④

   「大人の関わり方・・②」

 子供(選手)の周りにはいつも問題が降りかかってきます。

その問題も、その子供によって中身が違います。

結局、子供達に降りかかる問題はその子供本人が解決しなければならないのです。大事なのは、その子供にとって成長(変化)するために無くてはならないものだということなのです。

では、ここではその問題に直面している子供達に対して、私たち大人(指導者)はどう関わっていけばいいかを、一緒に考え行きたいと思います。

    基本的に子供の心配は子供自身がするべきです。
 大人はどうしても結果が見えてしまうので、結論じみた答えをすぐ言ってしまいます。
 ある意味、合理的に対処しているように見えますが、子供達は「合理的な方法」だとは認識せず、単純に「楽」だとしか思いません。ましてや感謝の気持ちなどは芽生えません。
 これでは、子供の生活力はアップしてきません。
 日本には四季があり、その季節ごとに工夫し合い、生活してきました。
 それが生活における「知恵」です。
 例えば梅雨の時期、湿気を「障子」で調整してみたり、暑い日差しが降り注ぐときは、
玄関先に「打ち水」をし外気温を下げたりするなど、様々な知恵を出し合い生活していました。
 現在では、暑い時は「○○さん、クーラーのスイッチを入れてあげるね」、雨の日は「○○さん、車で送ってあげるね」の一言で今ある問題を解決しようとします。
 果たして問題は解決したのでしょうか?
 そして、「何が問題なのか?」が適切に捉えられているのでしょうか?
 私たち大人は今ある問題を解決してあげるのではなく、問題を解決する力を子供達に身につけさせてあげることが、私たち大人の仕事だと思います。
 「釣った魚を与えるのではなく、釣り方を教える」的な考え方が良いかと思います。
 そして、子供達が自分らしく魚を釣る・取る方法を探せばいいのです。
 魚を釣るのは子供達なのです。
 大人は「釣れるだろうか?」等の心配はしないのです。
 子供達は魚が釣れるまでのプロセスを楽しんでいるのです。
 釣れたときの感激をイメージしながら「わくわく」しながら、釣れるのを待っているのです。
  その様子をゆっくりと見守ってあげてください。
 それが大人の仕事なのです。
   大人の関わり方次第で、子供の考え方が変わってきます。
   大人が望む理想の子供に育って欲しいのであれば、それにふさわしい考え方や関わり方を大人が身につけるべきです。
 子供の成長には大人の成長が不可欠です。
 子供のために大人も勉強しましょう。

9月 11, 2005 先生の一言 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年8月15日 (月)

【森先生のひと言no.16】「やる気」・・・③

          「興味づける」

では、どうやって好きにさせたり、興味づけるかです。
 一つめは、そのものの本質や楽しさを理解・体感してもらうこと
 二つめは、そのものを疑わせること
 です。
 当然のごとく、そのもの自体が面白くないと、興味を持ちません。
 伝える側はそのものの面白さを知っていますが、」「これは楽しいから、やれ!」と押しつけるような行為は、逆に興味を失う原因にもなってしまいます。
 私たちはそのものの特性を伝え、その楽しさをイメージさせることがまず一番だと考えます。
 「想像させることです。」
   楽しそうに活動している自分をイメージさせることにより、興味づけするのです。

 次に「疑わさせる」です。
 私たちは「うそ!」「ほんと!」と思うことに関心を持ちます。
 手品などはその最たるものです。
 子供達が信じていたこと、こうに違いないと思っていたことが、「実は違ったんだ」もしくは「ほかにも方法があったんだ」と思わせるような衝撃を与えることが大事です。
 そのことを「概念くだき」と言います。

 そのことをきっかけに「考える力」をつけさせるのです。
 「考える力」があると「好奇心」に深みがでて長続きします。これは集中力のある姿です。考える力の備わらない「好奇心」は興味本位で終ってしまいます。
しかし、気をつけなければならないのは、ただ単に「考えろ」と命令口調で怒鳴っても上手くいかないし、反発を呼びます。
 「考えようとする力」をつけさせるには、まず第1段階として「選ぶ」という単純な思考経験からスタートさせた方ががいいでしょう。思考回路を形成することから始めるのです。 
 「考える」楽しさを身につけた子供達は次から次へと新しい感動を求めて、旅立っていきます。決して大人が連れて行くものではないということです。

 人間やる気が無くても行動はできます。大事なのは外発的な要因が加わればできるのであれば、なぜ、スタートした時点で全開にしない自分がいるのかを考えさせる必要があります。
 よくあるのが、「最後の大会だからがんばる」「負けているからがんばる」等です。
 条件が整わなければ、やらない自分を作らないようにしなければなりません。
 「いつでもどこでも自分らしく行動できる自分であってほしいです」
 以上のように「外発的動機付け」と「内発的動機付け」の事を説明いたしましたが、内発的と外発的、どちらがよくてどちらがよくないか、という問題ではありません。
 ただし、1つだけ押さえておいていただきたいポイントは、 外発的な動機付けは、報酬などの刺激がなくなった途端にやる気が失せるのに対し、内発的動機付けの場合は、動機付けまでの時間はかかるが、やる気が持続します。
 「内発的動機付けが弱いと、やる気を長時間持続させるのは難しい」ということです。
 外発的・内発的な動機付けのバランスをとることだと思います。
理想的には、「楽しい」「ためになる」という正の要素がある気持ちと、頑張らないと何か自分に不利益があるなどの負の要素があるという気持ち、この2つの気持をバランスよく持つことです。

8月 15, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 7日 (日)

インターハイ結果

 本日、船橋アリーナで男女の決勝が行われました。

女子は東京成徳(東京)77-65慶誠(熊本)

男子は延岡学園(宮崎)91-88福大大濠(福岡)

の結果でした。

今回九州のチームが活躍してくれたことを誇りに思います。

特に延岡学園(宮崎代表)が優勝したことは、宮崎県に大きなエネルギーを与えてくれることになるでしょう。

8月 7, 2005 先生の一言 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005年8月 6日 (土)

【森先生のひと言no.15】「やる気」・・・②

                「内発的動機付け」
 そのものが好きであるとか、もしくは学習活動すること自体に興味があり、自発的に活動することがあります。これが内発的動機付けです。
 具体的には、「認知的葛藤を引き起こす」「知的好奇心を揺さぶる」などが考えられます。
 「認知的葛藤」とは、学習者が自分の予想・期待に反する結果や対立する考えを認知し、その差を解消すべきものと考えたときに生起するものです。 
 「知的好奇心」とは、すでに持っている情報とそとから入ってくる情報とが少しのずれが生じているときに、未知なる情報を理解しようとする。そのときにその情報、刺激に対して生起するものです。
 簡単に言えばそのものに興味を示した場合のことをいいます。そして探索的行動が始まり、何らかの理解が生まれ、情報のずれが埋まっていくときに、快適さが得られていきます。
 ようするに得られるものが物質的なものはなく、精神的なものが要因となります。
 例えば、「徹夜」です。
 自分にとっていやな仕事で、もしくはいやな勉強で「徹夜」を強いられるとします。
 そのときの本人の気持ちはどうでしょうか?
 「やる気」をもってやれるでしょうか?
 では、好きな事をしている自分がいるとします。
 「好きな映画を見ている」「好きな漫画を見ている」「好きなゲームをしている」「好きなプラモデルを作っている」「子供が喜ぶために毛糸のマフラーを作っている」等 
 その結果、知らず知らずに「あっ、もうこんな時間なのか!?」

「今日も徹夜してしまった」ということがあるかと思います。
 このように内発的動機付けは、活動それ自体が「好き」であったり、大きな「報酬」であったりすることです。

8月 6, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年7月31日 (日)

【森先生の一言 no,14】「やる気」・・①

今回から「やる気」についてを紹介していきたいとおもいます。

                                    「動機付け」

 私たちはいつも何かしら行動しています。
 食事をしたり、遊んだり、掃除をしたり、勉強したり、などなど
 では、なぜその行動をとるのでしょうか? 
 その「なぜ?」が「動機」なのです。
 「動機付け」とは、生活体に行動を起こさせ、そしてその行動が適切な目標へと向かうよう、たえず導いていく過程のことです。 
 そして、その動機付けは「外発的動機付け」と「内発的動機付け」の二つに分けられます。
 まずは「外発的動機付け」です。これは外からの圧力から行動を起こす「外圧的」なものと報酬等を目当てに行動を起こす「外発的」なものと、2つに分けられます。心理学用語には「外圧的動機付け」という言葉はありませんが、「外圧」と「外発」と分けて解釈した方が、理解しやすいと思います。「アメとムチ」の関係です。
 「外圧的動機付け」はその行動をある意味、強制的にさせてしまうよう導いてしまうことです。自分にとってマイナス要因を避けるために起こしている行動のです。   所謂「ムチ」です。
 「外発的動機付け」は外的な興味付け(賞金や報償等)を与えることにより、行動を誘発するケースです。物質的なものが得られるために起こしている行動です。言わば、「人間の欲」の部分に働きかけたものです。   所謂「アメ」です。
 では、「怒られるから清掃する。」「ペナルティーがあるから宿題をする。」「お金をもらえるから勉強する」はどちらに属するでしょうか?
 基本的には、自ら進んで行動を起こそうとするものではありません。行動を起こす側の受け取り方によって行動の質が違ってきますが、やはり外的な要因が加わって起こる行動になります。
 しかし、勇気を持てず、「できない子供」「やろうとしない子供」の背中を押してやることは決してその子供にとってマイナスではないと考えます。「かわいい子には旅をさせろ」的な考え方です。そこには子供もしくは保護者との信頼関係が不可欠になってきます。
 この方法は、その子供の成長としての、一つのきっかけになればいいのですが、逆に外的なものが働かなければ行動しようとしないという子供にしてしまうというケースが考えられ、どちらにしても配慮が必要です。
 また、やってはならない関わり方としては、選手・子供に威圧的に接し、大人の指導力不足による行動規制です。「~しろ」「~やれ」と命令口調で指示をしたり、「それはだめだ」「それは違う」と行動を否定してしまうと、選手・子供達は考えなくなります。そして、怒られないように、指示した通りにしか動かなくなります。

これでは面白くないのではないでしょうか!?

7月 31, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年7月20日 (水)

【森先生の一言 no,13】「共存」

                                    「共存」

 前回「生活力」を変化させるためには、「今までの築き上げた考え方を破壊しなければなりません」と、今までを自分の考えを見直し、変化させるよう促しましたが、実はもっと良い方法があります。
 それは今までの「生活力」と共に生きていくという方法です。
 「生活力」は無意識のうちに創り上げられた力です。
 意識して創り上げられたのなら、心がけ次第で変化させられるのでしょうが、知らず知らずに潜在意識の中で作られていくものなので簡単にはいきません。
  そこで、変えられないものへベクトルを向けるのではなく、変えられる今からの自分に対してアプローチをするのです。
 簡単に言うと今まで潜在意識だけで行動している自分とつきあっていくのです。
  今までの「生活力」を分析し、自分がどういう行動パターンで生活してきたのかを知ることから始めるのです。
 無意識のままで行動してきて「成功した」「失敗した」と一喜一憂して終わらせるのではなく、今までの生活パターンを認めた上で、「自分はこんな行動をとっていたんだ」と思いながらして生活していけばいいのです。
 そこで「いかん・いかん」と思えば、また新しい力がついてきます。
 それが(注1)社会力です。
 今までなにげなく選んでいた行動ではなく、自分が描く目標達成のために、ふさわしい行動を選択できる自分を創り上げていけばいいのです。
 変えられるのは過去の自分ではなく、今からの自分です。

  (注1)社会力 ・・・環境に左右されない力
                  自分らしく生きていくために必要な力

7月 20, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年7月16日 (土)

【森先生の一言 no,12】「破壊」

                                    「破壊」

  人間は、自分が生活しやすい、楽な行動パターンをとろうとします。このパターンがその人の生活力です。
 この生活力を見直していく必要があります。
 日々の生活の中で、妥協する習慣を持たないことです。そしてより、自分を変化させようと思うのなら、自らの手で自分の生活にストレスを加え、新しい行動パターンを構築させていくことが大切となってきます。特に自分にとって苦手と思う部分に対して、ストレスを加えていくことが効果的です。
 この日常の生活を変化させていくことが、新しい自分を作り上げていきます。
 しかし、生活力を変化させていくためには、今まで築き上げた考え方を「破壊」しなければなりません。すべてをゼロにする必要はありませんが、この作業が一番のつらさとなるでしょう。
 「初心忘るべからず」そして「初志貫徹」の言葉通りに、自分の目標を見失わず、日々生活してみて下さい。
 前に進もうとし、向かっている自分を楽しめると良いですね。

            「筋肉も細胞を壊して、パワーアップする」

7月 16, 2005 先生の一言 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年7月11日 (月)

【森先生の一言 no,11】「考え方」

                                    「考え方」

 人間はある一定の法則により行動しています。
 その基がその人の「考え方」及び「思考」です。
  その人の「考え方」が「行動」を生み、その行動が「習慣化」し、「結果」として今の自分があるのです。    
      「考え方」 →  「行動」→   「習慣」 → 「結果」
 今の自分を作り上げているのは「今までの自分の考え方」なのです。
   前回記した「生活力」は、今までの自分が創り上げているのです。
   結果を得ようと奮闘しているあなた、もしくは前回までの結果を変えようとして悪戦苦闘しているあなた、その場しのぎで「行動」を変えても、結果は変わりません。
 周りの人から言われたからと言って「行動」をいやいや変えても定着しません。
 よって「結果」は変わらないということです。
 正直、今まで創り上げた自分の生活を変えるのは相当「ストレス」を感じます。
しかし、今までの「思考」では、今まで同様の「結果」しか得られないのです。
  勇気を持って「変えよう」「変わろう」と思っているのなら、本気で決意して欲しいと思います。なぜなら、それを阻もうとする抵抗(誘惑)が必ずつきまとうからです。長年、自分にストレスが無いように、そして誘惑に負けながら築きあげた生活を変えるのは至難の業です。
 覚悟を決めるかどうかで今後の結果が変わってきます。
 いわゆる「断固たる決意」です。
 これからの自分のために、今の自分を大切にしましょう。
 今を雑に生きたら、雑な自分にしか出来上がりません。
  そしてその過程、その中での変化を楽しみましょう。
 そうすれば、未来のあなたは必ず笑顔で生活をしているでしょう。
 必ずです。

7月 11, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年7月 6日 (水)

【森先生の一言 no,10】「生活力」とは

                                「生活力」とは

 人間誰しも生きていくために必要な力を身につけようとします。
 それが「生活力」です。その性質として「安定」「安全」を保とうとする力が働き、自分にとって居心地の良い(都合の良い)環境を整えようとします。

 では、どうやって身につけていくのでしょうか?

  基本は「遺伝」です。
 両親の遺伝子がコアとなっています。これは変えようがありません。

  後天的なものの第1は「人」です。
 私たちは生まれてから今まで多くの人と出会って来ました。
 母親・父親・祖父・祖母・兄弟(姉妹)・友達・学校の先生・塾の先生・近所のおじちゃん・おばちゃん・偶然であった人等。多分、思い出せないぐらいの人と出会ってきています。
 その人達との関わりがベースとなっているといっても過言ではありません。
  教えを受けたり、マネをしたり、導いてもらったり、参考にしたりと様々な人から生活していく上で必要な力を得ようとします。
                 
  第2に「環境」です。
 どんな場所で生活してきたかによって、身に付くものが違ってきます。
 寒いところなのか暖かいところなのか、金銭的に余裕がある生活をしてきたのかそうでないのか、ルールを尊厳しながら育ってきたのかそうでないのかなど、育ってきた環境によっても、生きていく上での力の質が違います。

 第3に「体験・経験」です。
   今までにどんな「体験・経験」をしたかによっても違いが出てきます。
 その中でどれだけの「刺激」を受けてきたかが、生きていく上での力(たくましさ)の差となってきているようです。「刺激」を多く受けてきた人間の方が対処方法が多く身についているようです。

 以上のような要因から「生活力」は構築されています。
 最初にも書きましたように、人間は自分にとって都合のいいようにしか物事を捉えません。ただ年齢を重ねた人間の方が「生活力」があるとは限らないのです。これはIQが高い・低いとは関係ありません。日常生活での真摯さが「生活力」の高低に関係しているといっても良いでしょう。

7月 6, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月30日 (木)

【森先生の一言 no,9】「ライフスキルとは」

           「ライフスキル」とは・・・・その2

 その1の続きです。 

 私たちの周りはつねにありとあらゆる状況が巡ってきます。環境であったり、他人であったり、経験であったり、自分自身であったりと、次から次へと何かの感情を生じる事態が存在しているわけです。スポーツや社会とは実はそういうものです。したがって、こういった状況のなかでも、つねに心のコンディションを安定させて勝利できる人、自分らしく生きられる人、成功している人もいます。心のコンディションが安定している人たちは、環境や他人、経験、自分自身といった因子に対して大きな感情の乱れがありません。もちろん、だからと言ってこういう人たちに感情がないというわけではありません。このような人たちは、自分自身の感情をうまくコントロールできる力を持っている人であり、そういった環境や経験とうまく付き合ったり、他人とうまく付き合ったりすることが出来る人なのです。
 安定した心のコンディションを持てるということは、つねにその人らしく生きていくことが出来るということです。これは人生においてとても素晴らしいことです。この安定した心のコンディションが保てる能力こそが、「ライフスキル」という能力なのです。
 自分らしく生きている人というと、世界で活躍しているスポーツ選手たちが挙げられると思います。つねに泳ぐことを楽しんでいるイアン・ソープ選手、自分自身を信じている北島康介選手、大リーグに挑戦し成功しているイチロー選手や松井秀喜選手。選手によってその表現方法や、秀でているライフスキルの種類は違いますが、それぞれの選手にそれぞれの「らしさ」がとても良く感じられます。このようなライフスキルこそが、社会に出たときも、自分らしく生きていくうえでとても大切な力となるのです。

6月 30, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月28日 (火)

【森先生の一言 no,8】「ライフスキルについて」

                              「ライフスキル」とは・・・・その1

 欧米では、スポーツは誰もが楽しむことが出来て、その人の人間性を豊かにし、その人の人生を実りあるものとしてくれるものとして、古くから非常に高い文化的価値を持ち続けてきました。スポーツにより、人は様々な生き方のスキル、つまり、「ライフスキル」を学べるとされ、一つの文化として確立されています。そして多くの選手らがこのスキルを重んじています。
 テレビの画面に映る彼らの戦う姿が爽やかに見えるのは、まさにそのせいであるとわたしは考えています。彼らはこの「ライフスキル」こそが、厳しく辛い練習に耐えること以上に、勝利をつかむ大切な力ということを知っているからです。そして、この力こそが、スポーツの世界だけではなく、人生を勝ち抜くために大切な力となることをも。
 ライフスキルがあるとなぜスポーツで勝つことにつながり、またスポーツでなぜライフスキルが学べ、そしてこのライフスキルがどうして人生にも役立つのでしょうか?ライフスキルは心のコンディションを安定して良い状態に保つための能力です。心の状態は良くなったり悪くなったりと、環境、経験、他人、自分自身の影響を受けて揺らぎます。それは、人間には「感情」があるからと考えられます。様々な環境や、経験、他人、自分自身からプラスな感情を得られると、心のコンディションは良くなります。ところが、逆にマイナスな感情が生じると心のコンディションは悪くなります。
 プラスな感情としては、例えば楽しい、嬉しい、面白い、ワクワクする、すがすがしいといったものです。また、マイナスな感情は落ち込む、イヤだな、面倒くさい、嫌いといったものです。マイナスな感情が生じた場合には、心のコンディションが悪くなり、自分自身のエネルギーが落ちてしまいますから、決して、自分らしいパフォーマンスは生まれてきません。この状態で100パーセントの自分らしさを出すのはとても難しいことです。逆に、100パーセント自分らしさを発揮している人、勝負に勝てる人、成功している人というのは、この心のコンディションが良く保たれている人、多少の揺らぎはあっても、大きくは安定している人と言えます。<続きはその2(29日)>

6月 28, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月24日 (金)

【森先生の一言 no7】「スポーツの意義とは」

  スポーツは日本に体育という形で入ってきました。そのため、日本ではスポーツ=体育とみんなも考え、根性だとか辛いだとか汚いだとか、もしくは若い人のためだけにあるとか体のためのイメージで考えられています。つまり体育会系というイメージです。そのようなイメージでは子供を初めいろいろな人がスポーツを心から楽しむことができるでしょうか。

 体育とはPhysical Educationの訳です。本来Physical Educationとはただ単に体を鍛えることではなく、身体を使って行う活動で、人間としてeducation(成長)するためのすべての文化的な活動だと考えています。逆に、人間としての成長が伴っていなければPhysical Education=スポーツにならないのです。つまり、やるスポーツはもちろん見たり聞いたりするスポーツもあるはずです。そう考えれば、スポーツの素晴らしさを享受できるのは、すべての年代、老若男女であっていいはずです。

 スポーツはわれわれすべての人に何かしらの健康を与えてくれます。心の健康、身体の健康、すなわち、QOL(Quality Of Life)を向上させてくれるのである。ただし、その人にあったようにスポーツがコーディネートされたらの話ですが・・・。

 また、スポーツはコミュニケーションを高める一つの方法だとも考えます。直接人間の五感をフルに使ってコミュニケーションをかわさなくてはならいのです。アイコンタクトであったり、大声の返事であったり、ボディコンタクトであったりします。また、スポーツは私たちすべての人たちにコミュニケーションのチャンスを与えれくれるものと考えます。松井やイチローの活躍で多くの人たちにコミュニケーションが生まれていると思います。スポーツこそバリアフリーということです。すべての壁を超えることのできる唯一のコミュニケーション手段なのです。

 次にスポーツの芸術性です。スポーツはかっこいいものであり、美しいものでもあります。しかし、外見の美ではありません。そこになぜか感動があります。昨年のオリンピックでもそうでした。私たちは様々な競技に釘付けにさせられました。見ているとなぜか涙がでそうになります。それを表現する人(スポ-ツ選手や芸術家)の人生や人間性が伝わってくる感じがします。どんな練習をしてきたんだろうか?どんな思いをしてきたんだろうか?考えだけでも、心が熱くなります。スポーツを通して人間は自己表現を学んでいくのでしょう。

 最後にスポーツの教育性です。スポーツは人間を大きく変化させる力を持っています。アメリカの応用スポーツ心理学ではスポーツで学ぶ人間力をライフスキルと読んでいます。スポーツこそライフスキルという人間力をすべての人に育つチャンスを与えてくれるという考え方です。このライフスキルは強化の面でも大事にされています。ライフスキルがしっかり育たなければ勝てないという考え方です。日本のスポーツにはまだまだこのような価値の認識がないのが残念でなりません。ぜひこのような価値をより多くのみなさんに享受していただきたいと思っています。
 

6月 24, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月20日 (月)

【森先生の一言 no.6】「井の中の蛙大海を知らず」

 「井の中の蛙大海を知らず」を辞書を引きますと、狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らない。狭い知識にとらわれて大局的な判断のできないたとえと書いてありました。
 私も辞書のとおり認識しておりました。
 では、下の句ですが「されど空の深さを知る」「されど天の深さを知る」「されど空の高さを知る」「されど空の高きを知る」「されど空の青さを知る」「されど空の広さを知る」などなど。実際、この句の出所は分からないのですが、この「されど・・・・」から多くのことが学べると思います。
 自分の視野や目線を変えることにより自分の位置を知ることもできるし、空という物差しから大海を予測できるし、まず、第一に見上げたら空というものに気づけたということがすごいと思いました。この句を知ったときに本当にショックを受けました。しかし、それと同時に、肩の荷が降りた気がしました。
 それ以来、多くの本を読むようになりました。そして、多くの人の話を聞いたり、逆に多くの人に話を聞いてもらうようにもなりました。
 私の「自分軸の形成」の始まりだったと思います。
 今は空からでも、地中からでも、または4次元の世界からでも学べるようになりました。 これからも多くのことに気づき、自分を築き上げたいと考えております。

6月 20, 2005 先生の一言 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年6月19日 (日)

【森先生の一言 no,5】「スポーツの良さを生かそう」

  昨年、オリンピック発祥の地「アテネ」でオリンピックが開催されました。そのオリンピックを見ようと寝不足になりながらテレビにかじりついていたのは私だけではなっかったかと思います。毎晩毎晩日本選手の活躍に手に汗を握りながら応援している自分は「本当に幸せだな」とつくづく思います。本当に、「元気」を与えてくれる日本選手団に「感謝」したいと思います。日常の生活で毎晩3時4時まで夜更かしをし、それを繰り返せば必ず仕事に影響してきます。しかし、オリンピック観戦は逆に「元気」を注入してもらい、その次の日はその話題で盛り上がり、普段仕事でしか話さない人ともコミュニケーションが取れ、本当にスポーツのすばらしさを毎日感じさせられます。
 自分が考えるのは、スポーツにより元気を得られるというのを感じることができたら、「ああ~楽しかった」で終わらせるのではなく、日々の生活に積極的に取り入れる手立てを講じるべきだということです。

 オリンピックは日本人であるということを再認識させてくれたり、スポーツの良さを伝えてくれたり、また経済効果を生んだりと様々な影響をもたらします。自分の身の回りに「日の丸」を「自分の会社・企業」に置き換えるようなものを作り、毎日を「元気」に生活してみてはどうでしょうか?

 一つの共通の話題(スポーツ)で職場が盛り上がれば、その会社は必ず元気になります。その元気な会社、スポーツの良さを理解している会社が作っている商品は必ずいいものであるはずです。職場にスポーツの良さ(考え方)を取り入れ、そして働く大人達が元気になれば、今の日本もまだまだ元気になると思います。そして元気に働く大人を見て育つ子供達も元気になっていくでしょう。今の日本は他力本願的な発想で良くなるのを待っています。「今の日本で生活しているのは自分だ」という自覚を持ち、自らを奮い立たせましょう。必ずその元気は自分にプラスとなって返ってきます。
 そしてメダリストが必ず言う「皆さんの応援のお陰でここまで来ました」という言葉を、オリンピックを観て元気になった人は言うのです。「オリンピックに参加してくれたすべての選手のお陰で元気になりました。ありがとう」と。
 皆さん、第一歩を踏み出しましょう。

6月 19, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年6月18日 (土)

【森先生の一言 no4】「私の感動した詩」

「最後だと分かっていたなら」

作者不明 2001,9,22 アメリカテロ直後

あなたが眠りにつくのを見るのが、最後だと分かっていたら、

わたしはもっとちゃんとカバーを掛けて、神様にあなたを守って下さるように祈っただろう

あなたがドアを出ていくのを見るのが、最後だと分かっていたら

私はあなたを抱きしめ、そしてまた、もう一度呼び寄せ、抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声を上げるのを聞くのが最後だとしたら

わたしはその一部始終をビデオにとって毎日繰りかえしみただろう

確かにいつも、明日はやってくる

見過ごしたことも取り返せる

やり間違ったことも、やり直す機会がいつでも与えられている と、思っている

 

「あなたを愛している」と言うことは、いつだってできるし

「何か手伝おうか?」と声を掛けることも、いつだってできるし と、思っている

でも、もしそれが私の勘違いで、今日がすべてが終わるとしたら

わたしは今日、できるだけのことをしたい

そして私たちは忘れないようにしなければならないのだ!

若い人も年老いた人も、明日は誰にも約束されていないのだということを

そして、今日が最後になるかもしれないことを

明日が来ると思っているから、今日も過ぎ去っていくのだ

もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろう

大切な人とのコミュニケーションする

ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと

忙しさを理由に、本当にやるべき事をやったような気で過ごしてしまったのかと

だから今日、精一杯生きよう

そして、あなたの大切な人たちに

いつまでも大切な存在だということを、しっかり伝えよう

本当に精一杯生きているのか、毎日、自分に振り返ろう

やり残したことはないのか?

意味ある生き方をしたのか?

役に立つ生き方をしたのか?

そして、精一杯に行動しよう

また、「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「大丈夫」を伝える時を持とう

そうすればもし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろう

今を大切にしよう!

今に生きよう!

いまを精一杯にしよう!

今するべき事をやろう!

6月 18, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月17日 (金)

【森先生の一言 no3】「フィンランド症候群」

   皆さん「フィンランド症候群」をご存じですか?
 大人にとって耳の痛い話かもしれません。
 今までの関わりを見直すきっかけにしてもらえれば幸いです。

 フィンランド保健局は40~45歳の管理職を対象に、定期検診、栄養チェック、運動、たばこ、アルコール、砂糖の摂取抑制をしてもらい、15年間にわたり追跡調査を行いました。同時に同じ年齢、職種の人々を選び、そちらには何も制約を与えず、ただ定期的に健康調査をして、両方の比較をしました。
 その結果、心臓血管系の病気、高血圧症、死亡、自殺、いずれも一方が少いというデータを得ました。そして、それは当局の意に反して、何も制約を与えていないグループだったのです。
  その結果に驚いた保健局は、どうして健康的・理想的な生活行動が有害な結果に終わったのかを考えてみました。
 そこで得た結論は、治療上の過保護と生体の他律的な管理は健康を守ることにならず、逆に、「依存」「免疫不全」「抵抗力の低下」をもたらしてしまうということでした。さらに、医療においても、個人を保護し責任を免除することは、自我の確立を妨げることとなり、結果として不健全な状態をもたらすと説明しています。 

 つまり、他人によって管理されすぎること、自発性を奪われることは、かえって「マイナス」だったということなのです。

 私たち大人にも同様なことが言えるのではないでしょうか。

 大人が子供を管理しすぎることは、自主性・自発性を奪い、状況対応能力を低下させてしまうということです。そして子供の中には大人の指示だけに従えばいいと錯覚を起こしてしまう恐れがあります。
 大人は子供に対して「任せる」という勇気を持つことも「大人のスキル」なのです。
 注意しなければならないのは、「任せる」ことと「放任」は違うということです。ですから、行動には必ず目的がついてくるということを、子供に認識してもらうことが大切なのです。勝手な判断で行動されたら、「任せる」ではなく、単に治外法権の世界になってしまします。
 大人は子供の行動を規制するのではなく、「考え方」を整理してやることが必要なのです。
  大人は、子供を取り巻く問題を片づけてやるのではなく、その問題を解決できる力を身につけさせていくことが仕事なのです。

6月 17, 2005 先生の一言 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年6月14日 (火)

【森先生の一言 no.2】「大人の関わり方」

 私は今まで多くの人(生徒・大人)と出会って来ました。その出会いの中で感じるのは自分らしく生きている人と、そうでない人との「差」は何だろうということです。
 私なりにたどり着いた答えとしては「自分を大切にしている人」と「自分を大切にしていない人」とに分かれているのではと考えます。
  「自分を大切にしている人」は自分なりの考え方を持ち、その考え方に基づいて行動し、目標に向かって途中軌道修正をしながら「自分らしく」生きています。当然その人は元気であり、毎日を楽しそうに生きています。逆に「自分を大切にしていない人」は日和見的な生活を送り、毎日をただ何となく生き、今さえよければいいような考え方で投げやりな日常生活を送っています。両者とも日本の教育システム上、小学校そして中学校を卒業しているはずです。しかし、なぜこんなにも差ができて来たのでしょうか?
 このことは日本中の大人が本気になって考えなければ、今後も2極化が進み、安定した日本の社会を作り上げることができなくなる問題ではないかと考えます。
 私は、大人の関わり方に問題があるような気がしてなりません。
 子供達は発展途上の人間だからこそ学校に通うのです。しかし、発表の答えが間違っていれば、「おまえはだめだ」とか、遅刻をすれば「おまえはやる気があるのか」とか、問題行動を起こせば、「おまえは学校に来るな」とか、宿題を忘れれば、「罰としてグランドを走ってこい」など・・・。本当にこれで良いのでしょうか?
 子供達が未熟なのは私たち大人は知っているはずです。しかし、大人が勝手に「このくらいはできているはずだ」と生徒を一緒くたに見てしまい、その子の生活力(注1)を無視した一方的な関わり方をしています。また、自分軸(注2)の細い子供達に外圧的な発言や行動で迫れば、大体の子供達は挫けてしまいます。
 では、私たち大人は「何」を大切に「何」に気をつけながら子供達と係わっていけばいいのでしょう?
 このコーナーで皆さんと一緒に考えていきたいと思います。 

(注1)生活力・・・その人間が今まで生活して身につけてきた生きる力

(注2)自分軸・・・自分が判断・決断・行動する上で基本となる考え方

6月 14, 2005 先生の一言 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005年6月11日 (土)

【森先生の一言 no.1】部活動で!スポーツで!「何」を学ぶのか?

私たちは様々な形でスポーツに係わっています。
自分でプレーしたり、観戦したり、応援したり、役員として係わったり、コーチとして係わったりと本当に様々です。その中で、私たち教師は部活動という枠の中で選手(生徒)たちに何を伝えていくべきでしょうか?

時々こういうシーンを目にすることがあります。先生方が生徒に向かって「あなた達は部活動で何を学んでいるのですか?」と…。実際私も学生時代によく言われてきました。果たして「何」とは、なんだと思いますか?

私が先生方に求められていたのはバスケットボールのスキルではなく「あいさつ」「礼儀」「感謝」などではなかったでしょうか。そうだとすれば、日本全国各学校にありとあらゆる部活動があるのですから、もし「何」を全部活動生が身につけているとしたら、すばらしい日本社会ができあがっているのではないかと思われます。しかし、実際は違います。

私も教員生活15年くらいになりますが、「何」を理解している大人が少ないような感じがします。分かったようなふりして、伝えていなかったり、伝えようとしなかったり、妥協したりと様々です。しかし、自分なりの考え方・やり方で「何」を伝えている大人の方もいらっしゃいます。

このコーナー(カテゴリ)では、スポーツを通して「何」を学んで欲しいのか、またその「何」をどうやって伝えていくのかを皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。

6月 11, 2005 先生の一言 | | コメント (0) | トラックバック (2)